いつもなおはなし

個人的な想いが、徒然になる場所

このブログで書くこと2回目

 

何を書こうかな。と思っている感じなんですけど、

ちょっとFacebookでも書いたようなことを、

少し掘り下げて書くなんてこともありかな。と思いました。

 

ので、そんなことを書いてみようかと。

 

自分もTwitterFacebookをはじめたきっかけというのは、

成り行きだったと思います。少なくとも、

今のような流行りになる前にはやっていたような気がします。

 

現在はソーシャルの意味が、どっちの意味なんだー。というぐらい、

そんな単語を聞かないことがないくらいの時代になったような気がします。

 

かなり、何事かを発信する人は増えてきました。

別にそれは悪いことではないと思うんですよね。

いろいろと、何かしらみんな思うことはあると思いますし。

 

でも、発信するだけでは何か違うと思うんですよね。

発信って、究極的に言えば、一方的なものだと思うんですけど、

本当にソーシャルなものって、双方向なものだったりするわけじゃないですか。

 

双方向なものって、コミュニケーションということにつながってくる。

 

ということは、コミュニケーションなんだから、

それって、毎日行っていることだよね。ということになる。

 

つまり、毎日と変わらないことが、

インターネットなのか、生活の場なのか。

その違いに過ぎないような気がするわけですよ。

 

ということは、

普段の生活の中で一方的に話をする人って、どうなんだろう。

ということを考えてしまうわけです。

 

向こうからはこうしてくれ。という依頼はくるし、

こっちはもちろん対応する。

 

でも、こっちの依頼は放置される。

では、コミュニケーションは成立しているとは言えないわけで。

 

だから、情報発信が大事だから、ソーシャルメディアを導入しようじゃなくて、

コミュニケーションが大事だから、ソーシャルメディアを導入しようなんですよね。

 

ソーシャルメディアって、普段出会えない人とフランクにやり取りが出来たり、

ときには、そこから「新しい何か」が生まれる場所だと思うんです。

 

コミュニケーションをする場ということでは、

普段の生活と変わらないから、そこでの態度や目的って、

実は潜在的には、普段の生活での振る舞いを示唆しているんじゃないかなって思うのです。

 

もちろん、コミュニケーションすることって、けっこう難しいことなんですけど。

 

最近はそんなことを考えていることが多いのです。