いつもなおはなし

個人的な想いが、徒然になる場所

やっぱり続かない

何かを書くのって難しい。

そんなことは良く思うけれど、それを続けるのはもっと難しいとも思う。

そう思いつつも、たまにブログを書くのは、頭の整理につながる気がします。

 

3月は何かといろいろ起こる気がします。実際、いろいろ起こってます。

震災からちょうど1年が経つ。年度末になる。

4月からは新しいことが始まる方も多い。

いろいろと節目な季節でもあります。

 

それなのに、節目を噛み締めているような時間もなくて、

時間はいつの間にか過ぎ去ろうとするわけで。

 

1月から3月はなんでこんなに過ぎ去るのが早いんでしょうか?

 

学生時代は4月以降がとってもゆっくりに感じたわけです。

特に高校の7時間授業なんかは、とっても緩やかな時間を感じたわけで。

でも、今は何でこんなに早いのかって思うほど、経過も早く、

なんだかんだでもう。みたいな展開がよく起こっている気がします。

 

しかも、最近覚えられなくなってきているような気もするし、

歳というのは、まだ早いし。うーむ、何と形容しようか。

とか、思いつつ、昨日も今日もプリンを食べたりしてます(笑)

 

でもね、いろいろと考えると思うわけです。

何気ないことが、幸せなんだ。ということを。

本当は穏やかに暮らすことが一番なんでしょうけどね。

 

本当は関東に出て来るつもりとか。本当はありませんでした。

もし関西にいるままだったら、防げたこと。なんて言うのも少なからずありました。

 

でも、いまここにいなきゃ出来なかったことも、それはもうたくさんあって、

だから、関西を離れたことは、きっと自分にとっては、

プラスに働いていることが多いとは思うわけです。

 

ちなみに関西を出たからって関西との縁が切れたかというと、

実際、そんなことはなくて、色々な意味で言えば、逆に深まっていることもあったりで、

世の中何があるか分からないわけで。

 

運命って決まっているものなのか、自分で切り開くものなのか、

その辺のところって、どうなのか、自分はさっぱり分からないんですけど、

まっ、とにかく一つ一つ地道に積み上げていこうと思います。

 

 

 

三日坊主で終わるか終わらないかの瀬戸際

今のところ、毎日ブログは更新しておりますが、

さて、どうなりますやら。というところです。

 

僕はならないと決めている職業があります。

政治家と教師です。

 

ま、単純に政治に興味を持っていないわけではないんですが、

あまりにも、今の国会って短略的な感じになっているというか。

 

身分的にはそんな制度はもうありませんが、

何か貴族みたいに世襲の文化みたいになっているし、

既得権益みたいなものも増えているし、

昔は「やるぞ!」みたいな感じになっていた人も、

結局慣れてしまうと、同じ穴のムジナみたいになっているし。

 

橋下さんの登場で、どんな風に変わっていくのか、興味を持ってみています。

やっぱり明治以降続いている、中央集権体制は、いったんリセットして、

うまく地方へ分散していかないと、上手く回っていかない気がしています。

 

昔はまだまだインフラも発達していないし、

一つのところにいろいろと集めていた方が好都合で、

現在までその形で続いていると思うんですけど、

いまこうやってインフラが発達して、

どこにいても連絡が取れるようになっていたり、

全く会っていなくても、会っているような感覚にさせてくれるものがある中で、

一つの場所に資源を集中させなくてもいいと思うし、

集中することによるリスクも大きいと思うんですよね。

って、真面目に語っているわけなんですけど、

 

教師になりたくない。理由はもちろんあって、

先生には本当にいろいろとお世話になったわけです。

それこそ、ずっと先生とは卒業後も仲良くしてもらっている、

そんな先生もたくさんいらっしゃいます。

 

じゃあ、何で嫌かというと、

教師って教えることが全てのようで、そうではないからです。

僕は3割が教える仕事で、残りの7割が事務作業。

というイメージで教師という職業を捉えています。

 

見えているところだけで、いろいろと判断するのって怖いなと、

もう何度も転職を経験していて思うところもあります。

 

見えないところが一番重要なんですよね。

優雅に泳ぐように見える白鳥が、実は足をバタバタさせているように。。

 

氷山の一角なんて言葉があるように、

見える化、見える化とは言うけれど、

結局実は、世の中見えない部分のほうが多いというか、

だから、ステマなんてものが行われていたりもするわけで。。

 

別に見えないところは見えなくてもいいと思うんです。

だからこそ、キレイごとだけを語るのは止めてほしいなと。

 

意外と泥臭い作業が多い職業って、何だって多いじゃないですか。

そういうところを隠すから、ミスマッチみたいなことが起こるし、

今の世の中だから、余計に隠してしまおうと思うチカラが働くというか。。

 

正直、そのバランスって難しいとは思うんですけどね。

だから、それをどうやっていくのか。

僕自身も、それは自分の課題だと思っています。

 

だから、どうしていこうかって、ことなんですよね、きっと。

 

 

何気なく、何気ないことで、動く動く

ちょっとしたきっかけで、いろいろ動きます。

そう動きます。ちょっとした失言だったり、

その気はなくても。ローリングストーンは発生します。

 

思い返せば、何気なくTwitterを始めたから、

今があります。

 

あのとき、あのとき、あのとき、

思い返せば、ターニングポイントになっている瞬間は確実にあって、

でも、あのときの判断が正しかったのか。ということは、

結局、最後の最後まで分からないというか。

 

どの人生に満足するかってことで、判断は変わってくるし、

だからといって、現状に満足かと言えば、

必ずどこかしらに満足しないのが人間であって。。

 

Twitterがあったから、粒谷区があって、

粒谷区があったから、ツブヤ大学も出来て、

ツブヤ大学があるから、いろんな人に出会うことが出来て、

そこから、またつながりが出来て、広がって。

 

ソーシャルメディアは、たくさんのきっかけを作ってくれました。

オンラインもオフラインも関係なくなってくるんですよね。

 

なぜかソーシャルメディアを使ってやり取りしている人って、

ずっと会っていなかったとしても、妙に会っている気がしてならないし。

いつも不思議だなと思うことが多々あります。

だから、何気なく、何気なしに動くことが多いんじゃないかって思うんです。

 

昔は6次の法則といって、世界中6人を介せば、誰かしらとつながることが出来る。

という話もありましたが、今はさらにそれが短くなっているというか。

 

あら、こんなところで、こんなつながりがあるんだ。という発見が、

いつもあるような気さえします。

 

元を辿れば、もう5年も横浜に住んでいるわけですけど、

まさか、自分が横浜に住むなんて思ってもみなかったですし、

まさか、自分が修士論文を書くとも思っていなかったし。

 

けっこう思ってもみないことが多いし、

それは、相変わらず多く続いていることですけれど、良いことも悪いことも。

 

でも、一歩ずつ、一歩ずつですけど、

着実に進んでいるような気がするんです。

 

結局、過去なんて振り返ることは出来るんですけど、

逆に言えば、振り返ることしか、出来ないんですよね。

 

未来は決められているのか、全く決められていない無地のキャンバスなのか、

僕自身はまだ分からないですけど、

前に進むしか、人間は出来ないわけで。

 

前を向いて歩くから、明日が来るような気がしませんか?

後ろを向いていても、昨日が戻ってくるわけではないですが。。

 

取りあえず、出来ることからやっていこうと思います。

それが、実は一番の近道だと思うんです。

 

前を向いて、やれることからやっていく。

それで、明日がやってくるわけです。 

 

 

 

ちいさいこと>おおきいこと

 

きゃりーぱみゅぱみゅが、どうしてもスラスラと言える自信がありません。

こんな話どうでもいいですよね。

そんなに内容のない話を書く場ですので、ご了承ください。

 

えっと、今日のお題は「ちいさいこと>おおきいこと」です。

 

FBでも書いたことあるんですけど、どうしても小さいことが気になるんですよね。

ちっちゃな男と言われればそのとおり!!

背はそこそこ小さい方ですけどね。。

 

以前取材をしていたときも、その通りだと思ったんですけど、

日常の何気ない言動だったり、所作が意外と大事なことなんだと思うんです。

 

挨拶だったり、何気ないお礼ですよね。

「ありがとう」このひと言を言われるだけでも、とても嬉しかったりします。

 

出来るだけ会った人なんかには、ひとこと、二言、「ありがとう」

とお礼をするようにしているんですけど、

最近は若い人のほうがレスが悪いですよね。

 

ま、僕が何をしている人間かも分からず、ありがとう。なんて来て気持ち悪い。

みたいな感覚もある人ももちろんいるんだとは思いますけど、

一つのレスポンスとして、少しでも返してくれると、その後も円滑に進むのに。

と思うことがあります。

 

何か大きなことをやらかしたら、ごめんなさい。

これはもちろん当たり前なことなんですけども、

ありがとう。とか挨拶的なレスは、ありがとう。と言われたり、

どうも。と言っても、リアルでは返事は返ってくるけど、

メールだったり、それ以外では返ってこなかったりするとか、

たぶん、小さいことなんだとは思うんですけど、

僕は意外とそこらへんを見て最近判断するケースが多くなってきていると言うか。

 

もちろん物理的に忙しいとか、そういうのはあると思うんですけど、

何かそれぐらいも返してくれないんだ。そんな10分もかかることじゃないのに。

と、この小さいな男は考えてしまうわけです(笑)

 

若いもんは、という考え方はないんですけど、

意見の相違でキャッチボールがずれることは、

特に文章で書く場合なんかは起こることがあって、

そこはちゃんと話すとか、そういう修正は適宜必要なんですけど、

ボールをキャッチしたままで、リリースしてくれないと、

話も何も、もー進まなーい。と思ってしまうという感じで。

 

そういうおざなり感は、社会人よりも学生のほうが顕著に多いのかなー。

という実感がなぜかありまして。

 

それはやっぱり、社会経験があるかないか。になってくるのかなー。

とも思うんですけど、どうなんでしょうかねー。

 

けっこう大きな失敗をしたときは、どうしよ、どうしよ。

と思って、挙動不審できょろきょろするんですけど、

一度、腹が決まるとバスッと行くようなケースが多くて、

どっちかと言うと、小さいことを引き摺るケースが多いと言うか。。

 

何気ないことでレスをくれたほうが、けっこう嬉しいんですよね、結局。

ちょっと手伝ってくれたとか、ちょっと感謝されるとか。

仰々しく、大々的に何かされるよりは、そっちのほうが幸せ度が高いと言うか。

 

もちろん人によって価値観はたくさんあるので、

どれが正解でもないわけですよ。

少なくとも、これだ。みたいなものが、みんなあるわけだし。

それが違えば、それが違うだけしかないし。

それだけなんですよ、きっと。

 

小さな幸せ、小さな満足を心掛けて、

毎日過ごせたらなって思います。

 

 

 

もう2月も半分じゃないですか

本当に、時が経つに連れて、

まるで加速度センサーをつけているかのごとく、

時間が経つのが早い気がします。

 

こっちのブログにはほとんど書けていませんけれど。

特に取り留めのないことしか書きません。(笑)

 

最近、一番面白いな。と思った話は、

うつ病が心の病じゃないんだって、いうことに気づいたこと。

 

僕自身はうつ病ではないんですが、周りにそうなってしまう方が多い環境だったので、

どうしてそうなるんだろう?という思いは単純に持っていました。

 

そもそも、うつ病なるものに悩まされている人に出会ったのが、

仕事を始めるために上京してからだったので、

正直、最初は戸惑うことがかなりありました。

 

やっぱり勝手な先入観っていうものが出来上がっているわけです。

まして精神疾患だと思っているわけですから、

なおさらステレオタイプは強く出てしまいます。

 

でも、最近知ったこととしては、脳の病気であって、

へんとう体という、ネガティブな感情をつかさどる箇所が、

暴走した結果、うつ病という状態になったということで、

そのような病気は、遠くギリシャの時代から知られていたものの、

科学的なアプローチが取られるようになったのは、30年前だということで、

まだまだ本格的な解明などに関しては、これからな印象を少なからず受けました。

 

やっぱり、ここ一年は心を巡らすような機会が多くありました。

家族の意味みたいなものを考える機会も、不意にもいただきました。

 

でも、結局は、そう結局は、進むしかないわけなんですよね。

立ち止まっても、時間が巻き戻ることは絶対ないわけで。

 

もちろん、震災が大きな意味を持っていることも確かです。

間接的ながら、阪神大震災も、今回の震災も経験しました。

 

もう、本当に状況は不確かでしかなく、

政治家も揚げ足取りばかりというか、何してるん?

と本当に空しい現実を見事に演じてくれているわけで。

 

政治家の皆さんも一生懸命なんだろうと思うんですけど、

その力を使いどころが少し感覚ずれてしまっているよね。

ということを、見ていて感じることが多いわけで。

 

今年は、

想(う)・動(く)・実(る)

ということを、上手くやっていきたいと想います。

 

 

2012年を迎えて

 

今年で30歳になる(そうは見えない方ごめんなさい。。)

 

25歳までは京都で、そこそこヌクヌクで過ごしていたと思います。

ありきたりな就職を夢見て、大学時代は内定が取れず、

そして、大学院に進み、そこで新たな刺激を得て、

大学院に通いつつ、シナリオセンターにも通い、作家を目指していた。

 

『物語・社会構造から読み解くガンダムの象徴性』という題で修士論文を修め、

いつのころか、大企業・安定志向などなく飛び込んだベンチャー企業でのスタートから、

もう5年が経過しようとしている。

 

今ももちろんそうだけど、何にも出来ないことばかりで、怒られてばかりの日々。

一人暮らしなんて、そして、

慣れない関東での生活とあって、ストレスは溜まる一方だった。

 

でも、それでも、地道に日々のルーティンワークだったり、

日々の何気ないことで、皆との信頼関係を築いていけた。(たぶん、きっと)

現在は転職は4社目となった。5年で4社目。でも不思議と喧嘩別れはない。

 

最初のころからずっと、仲の良い方も多く、元クライアントだった人たちとも、

今も連絡を取り合う方は多いと思う。

 

小さいころは京大に行くんだ。なんてことをよく言っていて、

むしろ小さい頃のほうが現実的なことを夢にしていたのかもしれない。

もちろん、京大には圧倒的に理数系が苦手だったので行くこと難しく、

大学に入るころまでは、ジャーナリストに憧れがあったりしたもので、

同志社大学の新聞学専攻に入学したのだった。

 

Twitterと出会ってから、何か運命は転がり始めたような気がする。

自分は元々人見知りで、特にそれは企業の面接などで遺憾なく威力を発揮し、

なかなか未だに面接には慣れることがなく、なぜかドギマギを余計にしてしまう。

 

よく初めて会う方にその後聞くと、人見知りの微塵の欠片もないように思われるけれど、

シチュエーションでかなり、

ダメな場面があるように思うのが、現在の自分への見立てだったりする。

 

そんな人見知りの自分が、Twitterで会いましょうと投げかけて会うのだ。

もちろん、会うまではドキドキなんだけど、

会って良かった。と思える人は本当に多かった。

 

そんな縁が重なって、ツブヤ大学は出来た。もちろん偶然もあったとは思うけれど、

本当に良き仲間に出会ったからこそ、すごいスピード感で出来上がった気がする。

もちろん、スピード感で作った分、抜けも多くあって、そこで迷惑をかけることもある。

 

一度知り合った人とは、ずっと仲良くしていたい。

ということをいつも思う自分だけれど、そうじゃない結果もあるんだ。

ということを学んだのも社会人になって学んだ経験だった。

 

正直、自分は性善説で生きていたい「甘ちゃん」だと思う。

周りに、本当に恵まれていると思うので、なおさらそうなんだとは思う。

 

経験豊富な友人に恵まれたことで、

その見地からのアドバイスには非常に感謝もしているし、

そのときに言えなくても、何かの折に気持ちは伝えるようにしている。(はず)

 

 でも、なかなか分からないことも多いのは事実で、

だから、分かるところから作って行かないとと思うのと、

どうしても、自分のクセとして、形から入ろうとしてしまう。

というところも、ダメなところはあるんだと思う。

 

自分は、ちょっとしたことで、ちょっぴり喜ばしたいんだと、

そんなことを仕事にしたいんだ。と最近は特に思う。

 

思えば、今の原点は大学時代にあって、

リリー・フランキー氏などを大学に呼ばせていただいたときに、

その場の学生が楽しそうに話を聴いている姿を見ることが好きだった。

 

今も近しいことをしている。

誰かが喜んでいる姿を見ることが好きなんだ。と。

 

ほんとはね、いろいろと言いたいこともあるんですけど、

そういうことは、ここでは敢えて言いません。

 

なんかそんなことを言っていると、

運気が下がっていくような気がするし。。

 

自分で出来ることは何かと考えると、

フットワーク軽く動くこと、返事は速く返すこと。

言ったこと、約束したことは、絶対に実現するということ。

 

昔から出来ないことは言うな。と言われてきた。

だから、社会人になってよりそれは思うけど、

出来ないことは言わないようにしている。

 

社会人になって、とても感じることは、

出来ないことをすぐに出来ます、やりましょう。

と言う人が多過ぎるような気がする。

 

それって、社会人だったり、人として舐められる気がするし、

 仕事相手として失望されていくことになると思う。

もちろん、自分も気を付けないといけないんだけど。

 

社会人になった当初から、30歳になる年は、

一つの区切りの年になると決めていた。

だから、今年は区切りを付けられる年にしようと思っている。

 

ソーシャルメディアを使っていたおかげで、

たくさんの人に出会えたし、出会えなかったような方とも、

多くの交遊を持てるようになったことに感謝です。

 

今、ツブヤ大学以外での編集の仕事も、

思えば、Twitterからの縁で出来た流れでつながった仕事なわけで、

本当につながりと、不思議な縁を感じます。 

 

だからこそ、とにかく人が好きなので、

今年も多くの人に出会えたらと思っています。

 

2011年は自分の身内で残念なことも起こってしまったので、

2012年はより嬉しかったり、楽しいことを起こせるようにと思っています。

 

やるか、やらないかしかない中で、やるしかないわけで、

だから、2012年もやっていきます。 

 

正直、この5年の中で、京都に戻ろうか。と考えた時期もあった。

それは紛れもない事実ですが、それでも今があるのは、

身近で支えてくれている人がいるからに他ならないわけで、

その辺りも、いい知らせを今年は届けたい。

 

そう考えている、2012年初めでした。

 

 

 

今年の漢字が「絆」となりましたね。

と、それだけを言いたいわけではなく、

 

本当に今年は「絆」をいつも以上に感じることが出来、

また、反対に「絆」が壊れゆく瞬間も、身近で体験しつつ。

という感じで、本当に今年は激動だったと感じるんですが。

 

とてもいい「絆」に恵まれて、かつ本当に、

つくづく皆さんに感謝する気持ちが多い年になったことも事実で。

とても、とても「人のつながり」という面では、

恵まれた一年となったと思っております。

 

そんな中で、3.11の出来事があり、

阪神大震災も、京都で体験した身としては、

何か出来ないか。ということを考える中で、

これもご縁があり、現在は、

東北福寄席というプロジェクトを行っています。

 

1回目は既に開催をしており、

今月18日(日)に2回目の訪問を、宮城県名取市仮設住宅を訪問して、

三遊亭楽生師匠、扇家勝丸師匠に芸を披露していただくことになっております。

 

そして、3回目についても、動き出していて、

こちらは「READY FOR?」というサービスを使って、

皆様から支援をいただく方法での開催を目指し、現在プロジェクトを公開しております。

 

東北福寄席プロジェクト

 

既に達成率が50%を越えているというところで、

本当に支援に感謝しながら、シェアしていただく方も多く、

少しジーンとしているのですが、

 

何よりも、その偶然にびっくりしたんですけど、

今回のプロジェクトの、READY FOR? での公開日は自然な流れで、昨日となったのですが、

 

プロジェクトの終了日が、3月11日だったので、何かそれだけでもジーンとするものがあり、

 

このプロジェクトはそれこそ、続けていける限りやっていきたいことなので、

本当に縁を感じながら進めていけることに感謝ですし、

「絆」というものを、本当にここまで意識することがあった年はなかったなと思っています。

 

ちょうど今現在で、77%の達成率ということで、本当に感謝してます。

感謝と言い過ぎてるような感もありますが。。

 

大きいことよりも、小さな気遣いに感謝することが、最近多くなっている気がします。

小さな気遣いだったり、小さな心掛けだったり、

そういうものが、けっこう積み上がると、意外と大きなものになるんですよね。

 

そんなことを、これからも、いろいろなことで実践していけたらと思います。